2009年2月12日木曜日

1=1という隙のない論理

何か読んでストレスが溜まったら、それを書いておくというのは一つの発散方法です。私なりのですが。

この素晴らしいサイトの素晴らしい文書を読んで、それはちょっと、大げさな言い回しじゃないかと思ったわけです。自分の思い通りにいかないことがあるとストレスがかかったり、欲求不満に陥ったりする、それは別に科学を持ち出すまでもなく、一般的な経験則で十分です。それが統計で裏打ちされた長年の研究により科学的に立証されているかどうかなんて、どうでもいいことです(もっとも経験則を真っ向から否定する立場なら別でしょうが)。

そしてUIについてですが、これもいわゆる「直感的インタフェース」ってことでしょう。そしてそれには答えがありません。何か違うことに慣れしまった人に、初めて使う、あるいは使い込んでいって感じる良さを理解するにはハンデがあります。髪を綺麗に染めるには、一度色を落とさなければならないのです。

つまり基準や対象をどこに置くかです。Windowsユーザのために、通常のウィンドウボタンをわざわざ消してMacOSXのアクア風の綺麗なボタンを後付けにして「どうですお客さん、綺麗でしょう?」などと言う人は、この際どうでもいいじゃないですか。

それより、初めてパソコンを使う人に取って、どちらがどう使いやすいのか。あるいはWindowsからMacへ移行するのと、MacからWindowsへ移行するのとでは、とちらが最終的に快適になれるか、を議論するなら、大いに価値があるでしょう。

デザインの善し悪しが、誰のためであるか、ということを抜きに一般化して「ユーザ」という言葉を使うのは、少々乱暴でしょう。ウィンドウ枠の善し悪しに明確な答えがありますか?  をっと、MacOSはWindowsユーザが最初から幸せになるために作られてたのではないと思いますよ。

(素晴らしい文書より引用)

『ユーザインタフェースのデザインが良いというのは、そう振る舞うだろうとユーザが期待したようにプログラムが振る舞うことである。』

(引用おわり)


いいえ違います。

『ユーザインタフェースのデザインが良いというのは、そう振る舞うことをユーザが許せる範囲でプログラムが振る舞うことである。』

です。つまり、1=1、満足した人が使うUIは、その人に取っては良いものなのです。

ただし最良かどうかはわかりません。誰か別の人が、こうやったらどう?と改良したプログラムを持ってきたら、そっちのほうがいい!となるかもしれないのです。

でもMacOS(9までの方)で、ウィンドウに細い枠があったのは、まさに窓枠だったのかと、今更気がつきました。それでサイズ変更じゃなく移動なんだと。MacOS9は殆ど使うことなく、MacOSXからMacユーザを始めた私ですが、MacOSXには窓枠がありません。だからリサイズには右下をつままないといけない。正直これは最初不便でしたが、今は慣れたのでそれほどでもないかな。

そしてMacOSXとMacBook ProやiMacとワイヤレスキーボード&マウスに慣れ親しんだ元Windowsユーザは、今はMacが大好きです。そう、恐らく直感的か否かより、好きになれるかどうか、のほうが重要で、愛は苦難を乗り越えるものなのです。Fog Creekのカスタマーがそうであるように。

『ユーザインタフェースのデザインが良いというのは、そうあることを理屈抜きでユーザが気に入ることである。』

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