2009年1月8日木曜日

Wikipediaに責任編集を付ける

とてもポピュラーでMacOSX 10.5についてる辞書にもエントリされている。600万ドルで運営されているというのもすごいと思うけど、それが寄付で成り立っているというのがまた凄い。

にもかかわらず、あちらこちらから信憑性に関するクレームが聞こえてきたりもする。自分の意見の根拠に上げようものならそれこそ揚げ足を取られることも。

今日たまたま当用漢字について調べたんです。私の髙橋はいわゆるハシゴダカと言われる形ですが、これは当用漢字からは外れているのです。Wikipediaにはなかなか興味深い内容が書かれており、私は内容を信じました。で、思ったんです。こういうことは国の責任において万民に分かりやすく歴史的事実や現在進行形の問題まで、事実を明らかにする観点から明確にすべきではないかと。

ようするに、Wikipediaの当用漢字の項目は、文部科学省などの担当省庁が責任編集しても良いのではないでしょうか。

ただ、Wikipediaに限定するというのは本意ではありませんから、他所で引用可能な形式で文書として公開するということです。その上で、じゃあWikipediaという中立的で広く普及した便利なものがあるんだから、国や自治体など、いわゆるお役所の責任編集というものがあっても良いのではないかと思う訳です。

引いてはお役所に限らず、ある情報の情報源たる組織が、自己表現として(Wikipediaに入るか否かの問題は別に)責任編集することにより、Wikipedia自身の信憑性に一定の判断基準が与えられるのではないかと。つまり今までならWikipediaに書いてあった、と答えるところを、Wikipediaの責任編集に書いてあった、と答えることにより、より情報源が明確になるということです。

もちろん、責任編集があれば他は必要ないということではありません。逆です。責任編集ではない自由な編集に対して責任編集があることが、その両方の価値を高めると思うのです。

他にも詳しい情報満載のWikipedia。気軽にアクセスできて一定の信憑性における判定基準がある、というのは悪くないと思います。

そういえばどこかに、実名で書くwikiみたいなのがありましたね。なんだっけあれ、と思って実名 wiki でググってみると、Citizendium。なんだウィキペディア創設メンバーのラリーサンガーさんが提唱したものだそうです(なんだとはなんだ笑)。

現在英語版パブリックβだそうです。私からすると、これがWikiとことさら分離されている理由が良くわかりませんが、wiki自身の利便性やシステム上の問題なのでしょうか。

概念交換機でも分散について考えだすとなかなか進まず困っています。


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